死にたい季節

ちっす望月です。

最近友達がTwitterで死にたい死にたい言っていて
去年の自分を思い出して懐かしんでおります。

そいつはどうなのかよく分からないけれど
去年の自分は「死にたい死にたい」言ってても
今考えるとそんなに死にたかった訳ではなかったんですよね。

いやでも嘘をついていたのかと言われたらそう言うわけではなくて、
当時は本当に「死にたい」って思ってたんですよ。
でもそれは「温泉行きたい」って言うのと似たようなもので。



この「死にたい」と「温泉行きたい」はニアイコールだ
みたいな話はよくあるけど、
「死にたい期」を経験した後だと
とてもよく分かるんですよね。





死にたい期を経験する前だと

「死にたい」っていうのは、本当に死にたい訳ではなくて、
「辛いことから逃げ出してゆっくり温泉にでも行って現実逃避したい」くらいがちょうどいい訳だ


みたいな捉え方しかしてなくて。
いやそれも確かにそうなんですよ。


今冷静に考えると、当時俺が死にたいって思ってた理由なんて

孤独感、劣等感、自己嫌悪、未来に対する絶望、疎外感、疲れ…
などなどで、

それらを忘れられるなら、別に行く先は
地獄でも温泉でもどっちでもいいんですもん笑
温泉行って全部忘れてゆっくり癒してもらえるなら
それでも全然構わない訳ですよ。



あ、あと死にたい期は何しても「楽しい」って感じられなくなってたのも
この「死にたい」と「温泉行きたい」を似させる要素として大きいかも!
常に憂鬱な感じが!


だからこの「温泉」が「ハワイ」とかになっちゃうと、
例えが全然的を得ないものになってしまうんですよね。
ハワイだとヤッパリ楽しみに行くイメージがあるから。

違うんですよ、そうじゃないんです。
死にたい期の、何しても楽しくなくて憂鬱な人間は
「楽しいことをしたい」よりも
「憂鬱から逃げたい」んですよね。
その憂鬱から逃げるっていうのすらカッタルイと感じてしまうことも
少なからずあるわけですが。

だからハワイに行って楽しいことをして全部忘れたい、っていうよりは
温泉に行って癒されて全部忘れたい
って感覚の方が近いんですよ。




そう、それで、死にたい期を経験した後に「死にたい」と「温泉行きたい」が似ている部分は、
実は上に上げたところだけではなくて、もうひとつあることに気付いて。


それは、
死にたい期の「死にたい」は
本当に「死にたい」と思ってはいるけど
すぐに計画を立てて…ってヤツではない感じが
とても似てるんですよね。



僕は今も「温泉行きたい」とは思っているのですが
だから計画しようぜ!とは友達にしているんですが

日程決めるのも宿決めるのも何にもしてなくて。
もちろんどこの温泉に行くのかも決めてないし。
ただ漠然と「温泉行きたい」って思っている感じ。
いや、本当に「温泉行きたい」とはおもってるんですけど。


この感じが、死にたい期の「死にたい」とは通ずる部分あると思うんですよ。

「死にたい」っていうのは嘘ではないんだけど
ただ漠然と「死にたい」って思ってるだけなんですよね。

行動力の無さが上手く働く感じですね。
ちなみに僕は「クレヨンしんちゃんの映画を見に行きたい」って思ったときも
それすら行動に写せなかった人間ですもの。
温泉にも地獄にも行くほど行動力あるはずがないですね。




そういうところまで考えると、
本当に「死にたい」っていうのと「温泉行きたい」っていうのは
とてもよく似ていますね。




じゃあ、何故僕達は人に心配をかけるであろう「死にたい」という言葉を吐くのか。
良い機会にそこまで考えてみようと思います。


僕が思うに、何故「死にたい」と言うのか、「死にたい」と思うのか

僕の場合は
ボキャブラリーが少ないことが
原因の一つであったのだと思っています。

辛くて、苦しくて、僕はとにかく弱音を吐きたくて。
でも僕はバカだから、弱音のボキャブラリーが「死にたい」とか「消えたい」とか
その辺しか知らないんですよ。

だから「死にたい」って言葉を選んで
それを吐き出すのではないでしょうか?

本当は「死にたい」よりも
もっと当時の自分の心情にしっくりくる弱音がこの世界に存在するとしても
僕のボキャブラリーの中に、それは存在しないから

自分のもっているボキャブラリーの中で、一番当時の心情にマッチしていたのが「死にたい」だったのではないか、
と考えております。

だから、もし別の弱音のボキャブラリーを持っていたのなら
もっとしっくり来るような弱音を吐けていたんじゃないか?とか





あと少し話はそれてしまうけど、
「死にたい期」は「死にたい」って極力口に出した方が良いと思うんですよね。

というのも、僕の場合はですが
死にたいって口に出すと少しだけ楽になるんですよね。

いや、言霊とか色々スピリチュアルな話や脳科学的にはどうなのかは知らないけど
少なくとも僕は「死にたい」って口にすると
ちょっと楽になった気がしていました。
これは何ででしょうかね?

先ほども述べた通り、弱音を吐きたいと思っていて
その「弱音を吐きたい」という欲求を満たすことが出来たからでしょうか?

詳しいことはよく分からないけど、
その辺がバカが考える着地点じゃないすかね?笑





まぁ以上は全部僕の場合の「死にたい」期についただけなので
一概に全員が全員こうだ、とは思ってないんです。

本当に死にたい人もいるだろうし
死にたい理由も人それぞれだし。


ただ最後に、僕が死にたい期の頃
僕が束の間であれども死にたい気持ちを極力抑えられていた方法を
最後に紹介させもらいます。

僕が死にたい期に死にたい気持ちを抑えていた方法、それは…

ももクロちゃんを見たり、聞いたりすること。

これにつきますよね。

いや、
なんかふざけてる感出てるけど
割とマジで。

死にたい期って、ようはまとめちゃうと
現実的なものがしんどい訳じゃないですか。
ていうか俺はそうだったんです。
現実世界で孤独で未来なくて寂しくて自分嫌いで…って。

そんな現実世界から合法でトリップできるんですよももクロちゃん見てると。

あの今となっては失ってしまった
現実世界にはあり得ない純白さというか、
彼女達のあの美しさって別世界の物だと思ってるんです僕。
その別世界の今会えるアイドル、週末ヒロインが
僕達のことを別世界に連れていってくれるんですよ、しばらくの時間。
しかもとても美しい世界に。
最高じゃないですか。






とまぁ、長くなってしまいましたが
今日の長文ブログで伝えたかったのは


ももクロって素晴らしい。

もうこれさえ伝われば充分です。
長文読んでいただきありがとうございました。